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投薬20年…当時の思い出と愚痴

病気関係
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投薬20年-02(221112)

今朝足首がまだ痛みましたが、神社へ参拝してきました。朝の5時40分頃でしょうか。

本当は本日伊勢神宮へ参拝に行きたかったのですが、生憎の土曜日。
混雑が予想されたので諦めた次第です。

何故本日に拘っているかというと、ステロイド治療が始まり本日無事20年目を迎えられたからです。
今まで何とか無事に過ごせましたので、お参りに。
少し前なら発病して成人式を迎えられた!と言えるのですが、今は18歳でしたね(笑)。

20年前の朝病院食をいただいた後、看護師さんが袋に入れたプレドニン(合成副腎皮質ホルモン剤(ステロイド))を持って来られてそれを一粒ずつ取り出し、全て取り出した後右の手のひらに全部乗せて、これから一生お世話になるのか…と考えつつ十数秒眺めた後、一気に飲み干した事を鮮明に思い出します。
今は特に何も感じませんが、最初は今までの薬で一番苦かった思い出があります。

といっても、入院中のこの思い出はインパクトとしては2番目ですね。

3番目は入院前の生活スタイルが出鱈目だった事と、プレドニンの副作用かとにかく全く眠れずこれからの事やらを色々考えていた事でしょうか。

ここからは、事実ですけど愚痴まじりなので嫌なら無視して下さい。


圧倒的1番は書いたことはあると思うんですけど、入院中12月に会社の知り合いの方が過労死された事につきます。
別部署でしたけど、入社してメイン3人私達は技術部でしたけど役に立たないから応援という形で力仕事要因で3人の、合計6人で3日間初出張に同行させて頂いた方です。
あの後社員に向けて健康管理に気をつけろ(すなわち管理を怠った者が悪い)みたいなメールが送られたみたいで、見舞いに来て下さった方にメールを拝見させてもらいました。

最後にお会いしたのは入院した年の8月の朝4時頃。
お元気そうだったのに…。
「帰るけど、まだやっていくのか~いつも遅いなぁ」と言われ、だだっ広い第4工場の冷房の使い方を教えて頂いたのが最後でした。4時から帰宅とか冷静に考えると怖いな。
私一人の為にガンガン使うのは贅沢の極とも思えますが、よく考えれば現場の為に仕事前から涼しくしておいた事にもなるわけで、こちらは貫徹なのに普通に出勤してくる人たちのお膳立てともとれるわけで…心が狭いですが、何だか癪です。
些末事はおいとくとして、夜中の12時過ぎに調子が悪いとの事で上役が朝一で病院に連れて行ったらしいのですが、心筋梗塞で亡くなられたとの事。
救急車という手段があるのに、朝まで放置とか一体何をやっているのか?途中でおかしいと気が付かなかったのか?看病や様子を見るわけでも無く放置していたのか?
具合が悪いと言っているのに放置しつつ挙句に自己責任で片付ける。
こんなの殺人幇助にならないのか?

訃報を聞いた時は頭が追いつかず逆に冷静でしたけど、相変わらず夜中に眠れず何故自分はここに閉じ込められているんだろう(薬による免疫力低下でトイレやら検査等病室から出るたびにうがい必須の基本監禁状態でしたので)、何故どう考えても仕事で亡くなったのは明白なのに自己責任なんだ?と急に感情がぐちゃぐちゃになり、夜中にベッドを抜け出し2Fの診察待合の隅っこの椅子で悔し涙が止まらず、鼻血まで…。
会社の歯車が感情で泣いてるんじゃねーよ、などと思われそうですけどステロイドは精神も不安定にするので余計に恨みつらみを募らせていたのかもしれません。

私はこの頃大阪支店配属でしたが、最初は本社採用で私と同じ部署に配属された他の2人の内1人はすぐに辞めて(これが正解だと思いますけど)、もう1人は言い方は悪いですけど使えず各部署をたらい回しにされて、私1人。
景気が悪く2年間採用見送りしていて、先輩方は既婚者。
不景気で部署も再編され上は少し年が離れていたもので。

まぁ独身+辞めないと考えたからなのか使いやすかったんでしょうね、入院した年はほぼ毎週本社(名古屋)に出張し日曜日だけ帰るという日々を繰り返していました。
入院した年の7,8月には某巨大企業の下請け、今年売り上げ4兆?の大企業(バレバレでしょうけど)に毎日無理難題を言われ徹夜の日々。
幸い一時寮にいて、裏口の扉の暗証番号を知っていたので、朝5時前頃こっそりシャワーだけ浴びる事だけは出来ましたけど(寮を出る前に自転車も本社の駐輪場に置いていましたし)。
この頃既に関節痛やら脱毛等何かおかしい感じでしたけど、疲労のせいと錯覚していた自分もちょっと情けないですが、どうせ受診する暇も無かったですし…。
いくら難病が原因不明であっても、あの労働環境がトリガーになっているのではないでしょうか。

実は入院した年にようやく部署に6人配属されてきましたけど、いきなり業務が出来るはずも無く、7,8月は残業300オーバーとか他の月も200オーバーは当たり前とか、いま考えれば一体何をやっていたのかと。
今思えばとにかく目の前の事で精一杯で、おかしいという自覚がなかった感じです…怪しい宗教みたいだ。
ホント残業自慢は言ってて恥ずかしく虚しいのですが、まぁ言ってみれば無自覚な強制労働みたいなものなので…ってやはり新手の新興宗教に類するものかな?

因みに貫徹続きの朝後輩に「顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」と言われましたけど、その後輩は私が退院し復帰する前に辞めていました。
出来る子は決断が速い(笑)。
復帰後も出張は無くなりましたが、半年後には毎日終電か終電に近く夫婦で経営している自転車置き場からもう他所に移ってくれと言われる始末。
その内やはり悪くなりてんかん発作(CNSループス)が発症し、運悪く支店会議で発作が起き社長やら技術本部長(技術部なので本部長が上役)にバレて1年後に自主退職という名のクビの流れに。

あんな会社が東証プライムかつ資本金三桁億という闇。
しかも入院中なのに宿題と称して暇つぶしにはなったとはいえ制御のマクロを組まされる始末。
支給PCがボロく、結局私物のパソコンで組むというのが一層笑えない。

私の時代は就職が特に厳しく(先ほども書きましたけど次の2年は未採用でしたし)やりたい仕事か資本金(体力)のある会社かで、結局後者を選びましたけどどちらにせよ自分が選んだ道。
やりたかった会社にしていればと思っても倒産する可能性もありますし、そもそも採用されるとも限らない(笑)。

私の様な人間はどうせどちらに転んでも不平不満を言っているでしょう。
ただ今回は病気になったのは会社のせいだ!と声高に叫んでいるだけで、他の道に進んでいたとしてもこの場で違う不満を書いていた事でしょう。

それでもやはり治らない病気よりは他の道の方が良かったのかな…。
服用開始から20年…最初の頃は20錠程でしたけど現在は頓服を抜いても毎日30錠。
こう見ると、やはり20年間徐々に悪化傾向と見るべきか。
平均25錠として20年間で合計182,500錠とか体の成分が変わっていそう(笑)。

愚痴を長々と失礼致しました。

投薬20年-01(221112)

私にとっては色々ありましたが、20年という年月の流れに関係なく、今年も紅葉が色づき始めていました。
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  • posted by ヨウ

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