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9月11日、同時多発テロから19年目。・・・1と9だらけ。

日記
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同時多発テロから19年目ですけど、当時私は丁度インドネシアにいました。

少し前にMicrosoft Flight Simulatorでシンガポール・チャンギ国際空港からスカルノ・ハッタ国際空港へフライトなんてしたのですが、2001年9月のフライトをなぞったものです。

当時入社して2,3年のぺーぺーだった私ですが、現地スタッフでは自動計測という装置を応用したプログラムが作れないとかで、いきなり1人で放り出されることに。貿易部がケチったのか会社がケチったのか関空→香港→シンガポール→インドネシアとトランジットしまくって現地入り(キャセイパシフィックだったかと)。

インドネシア-1(200911)

もう20年近く前なので全然違いますけど、何となくMicrosoft Flight Simulatorでジャカルタ近郊をフライト。
現地人の商社の方(というか商社はインドネシアの会社なので全員現地の方でしたけど)にジャカルタのホテルから毎日高速道路を使って片道約1時間弱位で送ってもらいました。
そう言えば、到着早々ホテルに行く前に現地で頼まれてWindows98?だったかで初めて81で日本へ接続設定したんだった。こんなことをするのも最初で最後か。
何か日本製のコンベアが欲しいとか何とか。懐かしい思い出。

インドネシア-2(200911)

東向きの高速道路を見つけたのでルートに沿っていくと…

インドネシア-6(200911)

工場群らしきものを発見。ここがそうなのかどうかもわかりません。もう19年前ですし様変わりしているでしょう。

記憶では綺麗に整備されて大きい一直線の道路の両側に日系大企業の工場が整然と並んでいる所を、車でこんなに大きいの?と思うほどずっと走っていた覚えがあります。

初日から色々ありました。
肝心の自動計測装置が作動せずに、その日はおしゃかになり本社に連絡を取って夜にホテルでパラメータリストとにらめっこ。
結局出荷前の確認で電装が確認最中にパラメーターを元に戻すのを忘れていたみたいですけど、そんなケアレスミスは国内にして下さいよ。動作しないなんて…海外だから私の様な小心者は冷や汗ものでした。

インドネシア-7(200911)
※wikipediaより拝借

そして19年前。1日潰してしまったので仕方なくホテルで毎日プログラムを考えたりしていてテレビなんて見ている余裕が無かったので全く知らず、翌12日商社で新聞を見せられ初めてアメリカ同時多発テロ事件を知る羽目に。
余りに現実離れした写真に驚く一方(最初は映画か何かのワンシーンか?などと思ったり)、それに変に冷静な部分もあって帰国って簡単に出来るの?などと考えたりもしました。

なんとか作業の方は全て無事に終わり帰国の途に。
ホテルカーで送ってもらったのですが、帰国して両替が面倒だったので小銭や安い紙幣はチップという事でドライバーに渡したら、態度が急変してわざわざ空港内までトランクを運んでくれました。計算したら日本円で1000円強。
当時インドネシアの初任給は1万円程度だと言っていたと思うので、現地の方からすれば結構な額になるのか。
そごうでお土産やら両手分買っても1000円もかからなかった記憶があります。

何とか空港まで辿りつくわけですが、トランクの中は納入時の計測器が沢山。
入国時は何も言われなかったのに、帰国時は問答無用で「オープン」と言われトランクを開けて1枚1枚インボイスを見せて何とか通過。

勝った!と思ったら今度はエンジントラブル…。
何時間も待たされて、チャンギ国際空港行きは無くなって一路香港国際空港へ。待たされても一気に香港へ行けたのは有難い。
ここでもかなり待たされることになるのですが、香港からは何故かJALに乗せてもらえることになりたまたま知り合うことになった結構年上(某大手企業の社員)の方に「サクララウンジが利用出来るから行こう」と誘われ、ビールをグビグビ。
不安だらけの帰国の最中、ここだけがオアシスでしたよ。

そしてついに関空に。
知り合った方とトランクを待っていたのですが、1時間たっても来ない。最後の最後までトラブル続き。
職員に尋ねると、どうやらトランクはシンガポールに行ってしまったとの事…。ここでお別れする事になったのですが、お元気だろうか。
後日、キャセイパシフィックではなく何故かJAL発送で家まで届けてくれました。間違ったのはキャセイだろうに。
検査器具って結構高価なんで本当に良かった。

色々ありすぎて未だによく覚えています。
悲しいかなこのあと発病してこれが恐らく最後の海外。トラブル続きの海外出張が最後なんて本当に運が悪い…。
発病さえしなければ順番的に、3,4年後には5年程ドイツ支社赴任だったのですが(アメリカ、ドイツの順番)。
ヨーロッパに行きたかった…。

インドネシアの現地の方々は良い人ばかりで助かりましたし、出張先で教えた2人は日本語ベラベラで教えたらすぐに覚えていくまぎれもないエリートさん。
国内で出張した所でも短い期間でしたが色々教えましたけど、現地で作ったプログラムを理解してくれたので理解力の高さは間違いなく1番だったのではないかと。


まぁ現在、国としては最近何だかあまり信用なりませんけどね。
高速鉄道の日本の調査結果のデータを横流しして中国を選びつつ、今更泣きついてきたり。
その新幹線はちょっとだけ縁があって、

インドネシア-5(200911)
※700系まもなく引退、6倍に増える「のぞみ」と歩んだ約20年の歴史より拝借

旧700系の室内ライトを見ると黒い部分がありますけど、ここってアクリルの縁。
今までの新幹線は成形だけだったのに、旧700系は縁が採用されて勉強しに来られたメーカーさんに図面を見せてもらって一緒に考えて3週間だったか1ヵ月修行されて帰られました。
寮に滞在しておられましたが、私も寮にいたので熱心な方で晩にマクドのセットを持って質問しに来られたこともありました。
出張時に新幹線に乗ってふと上を見た時、形状を見てすぐに気が付きましたよ。

その後今度は川崎重工に商談で営業と行く機会があって新幹線の図面やら製造現場を拝見する機会があったのですが、そういう内装の事を話したら馬鹿にしていました。

中国に新幹線技術の売り払い「独自開発」などと称させる結果を招き、挙句に亀裂事故。
今となっては馬鹿されるのはどちらか言うまでもない。いや、馬鹿にされるとかそんなレベルですらない。
JR東海には見捨てられたみたいですし。
「プロジェクトX 挑戦者たち 執念が生んだ新幹線 ~老友90歳・飛行機が姿を変えた~ 」でも見て先達がいかに苦労したか反省…も既に時遅しですね。

最後は少しずつ脱線しましたけど、私は帰国に不安を覚えたりしたってだけの話です。
アメリカ同時多発テロで亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
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  • posted by ヨウ

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